同じ映画やアニメを100回以上見る人間

同じアニメを何度も見て

同じ音楽を何度もリピート再生して、同じ映画しか見ないのは

もちろん好きだからという理由もあるが、わたしが新しいものを取り入れることが怖いからである。

 

映画に関しては顕著。

たぶん実写化された映画を見終わったときに感じた「裏切られた気持ちに近いなにか」が多く経験にあるため。

残念だったな。という記憶が映画=残念という経験則として刷り込まれてしまっている。

 

サブカルおばけのくせにほとんど映画を見ないサブカルおばけ。

 

小説は雑多に読める。ノンフィクションでもSFでも恋愛小説でも推理ものでもエッセイでもなんでも読む。

読み返したいと思った小説は三島由紀夫森鴎外

それ以外は本棚にあっても特別に読み返したいと思ったことはないかもしれない。

雑多に読めるということは、他に読みたいものがたくさんあるからかもしれない。

 

漫画は読めない。最終回だけ見ないとか最終巻だけ買わないとかやっちゃう。

他人に勧められたものを素直に受け入れないことがめちゃくちゃよくある。

(ヲタクには多いんじゃないだろうか?JOJOがそうだったんだよ、激しく後悔している)

学生のころは、本屋に張り付けてあった漫画の発売日を記憶して本屋の本棚のならびを記憶して発売日には帰宅後即本屋に自転車で走り、買いに行っていたなぁ。

漫画に関しては、「自分はこういう漫画が好きなはずなので、こちらの漫画を好きになれると思えない」というわけのわからない自分自身の解析を根拠に「読まない」という選択肢をとるんだけれど、結果間違っていることが多い。

 

最近二次創作で漫画を描こうと思ったときに、「わたしってわたしのことまったく理解していないし、まったく勘違いをしているんだな」ということに気が付いてしまった。

(なんで同人誌を書くタイミングでそれに気が付くんだっちゅー話だが)

自分のカルチャーに対してものすごい防衛を張りすぎて、それが良い作品との出会いを逃してしまっていることは理解している。

 

でもいい作品とは何があったって出会えるんですよ。

わたしが最初にJOJOに出会ったのは小学生の時ですよ、それが云十年経った今再び出会って虜にさせられてしまっているわけだから。

チャンスは何度でもやってくるんだな。

 

逃さないようにしたいチャンス、新しいものを受け入れるのは勇気がいるけれど。

カルチャーに対しては幅を広げていかないと自分を形成していけないように思うんだよ。

 

わたしはもっともっともっとたくさん描きたいからである。