自分の中の儀式、ルール

わたしの中に知らないうちに自分で作り出した「儀式」がいくつかある。

それはとても単純なことで簡単なことなのだけれど。

例えば、わたしが同人誌をわざわざ店舗に買いに行くこと。

これは「同人誌を読む」作業は「同人誌を買いに行く」ところからわたしの中で儀式として始まっているから。

だから、店舗で手に入る同人誌の場合わたしは買いに行く。

 

他人にしてみればどうでもいい儀式。

面倒くさい儀式のように見えるがわたしには大切な儀式。

 

ジムもわたしにとって儀式なんだと思う。

「なんでしんどい思いをするためにジムに行かなあかんねん」って思うくらいジムのプログラムがきついんだけど(自分で選んだわけだが…)

 

それでもジムで運動しているのは痩せたいからという気持ちももちろんあるのだけれど、それとは別に、「あぁたぶんわたし、ジムで運動することで自分の中にあるもやもやしたものを外に出してるんだなぁ」とアドレナリンガンガン出しながら気が付いた。

運動はわたしをリセットする儀式なのだ。

 

絵を描くようになってから、自分ひとりで勝手に悩みもやもやすることが増えた。

「このイラストはネタバレになるんじゃないか」

「この漫画だれが読んでくれるんだろう、だれも読んでくれなかったらどうしよう」

「製本したところでだれか買ってくれるんだろうか」

一人でぐるぐるして、一人でもやもやしていた。

 

でもね、昨日わたしはサンドバックを殴りながら思ったのよ。

わたしは自分が描きたい漫画を描くし、描きたいイラストを描く。

それを見て、あーだこーだあったらそれはその時に考えたらいい。

そんなこと以前に、わたしのイラストや漫画を見てくれる人がいるだけでめちゃくちゃ幸せじゃないかってね。

 

これは誰もが経験したことがあると思うんだけれど、

今でこそ、数時間あれば適当な落書き程度なら描けるようになったけれど

イラストを描き始めたときもわたしは、1枚仕上げるのに1週間かけてたのよ。

すごい労力でしょ?

 

でも、その1週間かけて描いた1枚を、ドキドキしながらうpしても

誰も見てくれないことが山ほどあった。

いいねなんてもってのほかですよ。

無名だし、下手だし、そのジャンルも初心者だしフォロワーの人数?1桁。(笑)

 

岸辺露伴が言ってたけど「自分の漫画を誰もみてくれなくなるんじゃないか」って恐怖。すごくわかる。

 

今わたしがいる界隈は、わたしの描いたイラストをたくさんの人が見てくれるし、憧れの絵師さんや本人さんまでいいねしてくれるから;;やさしさに泣いた;;

 

見てくれているってわかるから「次も頑張って書きたいな」と思うんだよね。

いつもわたしのイラストや漫画をみてくれている人たち、本当にありがとう。

わたしが頑張れる理由です。

 

わたしの好きなバンドのVoが「初めてやったライブのお客さんは5人で最前列には誰もいなかった」って言ってたのを思い出して、そうだよね。そんなもんだよねと勇気づけられたりなどしているよ、最近。

 

わたしの中で儀式化していることって他にもたくさんありそうだなぁ。

仕事で着るシャツの色が毎日決まっていることも儀式かな?

これは儀式というよりは、考えるのが面倒くさいから決めているほうが大きいかしら。

 

わたしの友人には、「洋服を選ぶのが面倒くさいから、同じ服を何着も持っている」という人がいて、気持ちはめちゃくちゃわかるので、わたしもまねしたいくらいだが

スーパー飽き性のわたしには難しいなと思い断念。

 

わたしは自分ルールが多すぎる。

それはわかっているよ、変えられないけどね。