ゴドーを待ちながら

やっと届いた本を読んでいる夏の日の午後。

半分仕事して、半分なつやすみ。

 

 

よく行く書店がこの時世で行かない間に閉店していた。

行きつけの書店がまた一つなくなった。

ネットで頼めばいいじゃないかと思うのだけれど、すぐ買いたいしすぐ読みたいのよ。わたし。

 

無駄に本を買う喜びも味わいたいし。

またこんな本買っちゃったよと、思うのも幸せなこと。

 

積読もあるのだけれど、それでも本を買ってしまうんだ。

紙の本をね。

 

電子書籍もとても便利でいいのだけれどなんだか落ち着かなくてさ。

 

ゴトーを待ちながら/サミュエル・ベケット 読了

この本は、虐殺器官を読んで知ってどうしても読みたかった本。

わたしがこの本を理解できたのかと言われたら、まるで理解できなかった。

でも「あーわからん!むり!」とはならなかった。

途中で挫折する本はいくらかあれど、挫折はしなかった。

むしろ、すらすらと読める。

わたしにキリストの知識があまりないから理解し難かったところもあるかもしれないが。

 

ただ、なるほど。わからん。なのにおもしろい。そしてちょっと不安。

これは感覚的なものかもしれないけれどね。

 

解読にもあらゆる解釈を吸収してしまうとあったけれど、まさにその通りだと思う。

如何様にも読める。

 

こいつは戯曲だから、演じられるべきものなのだけれど

演じるものがない。

 

虐殺器官から読んでもらえば、きっとするりと読みたくなるはず。

 

かつて読書感想文に苦労したことのないわたしだが、こいつについてまるで書けない。夏。

 

駄文だが、夏休みの宿題として出される読書感想文を書くことが苦手すぎた知人が、「読書感想文を書くことの無意味さ」を書いて提出したと言っていて面白い子どもがいたもんだと思ったね。その発想はなかった。

 

こうも文章を書くことが下手になってしまったわたしだが、昔はもっと上手に文章をかけていたんだぜ。

 

倫理の授業で個が前に出すぎたレポートを提出して、お前のは哲学だと突き返されたこともあったが、文章を書くのは好きだ。今は絵を描くほうが多いけれど。

 

あとすこしの夏を過ごすための本も新しく手に入れられたので、また気が向いたらこうして本について書こうかな。