広告の裏にでも書いておけというようなこと

何度でも言うがわたしは古の腐女子である。

 

友人の、これも古の腐女子と話していただんだけれど、腐女子は「関係性」に悶えているのであって、決して男同士の友情全てがホモォに見えているわけではないという結論にいたった。

ココねほんとよく勘違いされるんですけど、それ腐女子にいうと怒られるからね!夜道には気をつけろよおまいら!

 

イラストがきれいだと、ホモアニメと言われることがよくあるんだけれど違うんだよ、今から広告の裏にでも書いとけよっていうような話をするんだけど、こういう話が嫌いな人はブラウザバックな。

 

 

わたしたち腐女子は全部がホモォに見えるわけじゃないんだ。

だからカップリングというものが存在するわけよ。

腐女子カップリングにものすごくうるさい。

(右左の話もめちゃくちゃうるさい。けどめちゃくちゃわかる。)

 

メンズにはこのカップリングという概念がそもそもないじゃぁないか。だからなんで腐女子はそこにこだわるの?と思われるかもしれないけれど、ここが腐女子にとってはめちゃくちゃ重要な部分。

上下のどっちが立場的に優位ってわけじゃぁないんだけど、ここで関係性がはっきりしてしまうからね。

 

一口にホモォっていうけどわたしたち腐女子はめちゃくちゃ考えてんですよ。本家での絡みもあるからね。

わたしたちは本家様あっての存在ですから、わたしは本家の設定をめちゃくちゃ重要視しますね。

 

考えに考え抜いた結果、自分の中で推しが一番幸せになるカップリングを見つけるわけです。

 

だからこの作品に関しては、腐女子視点でみられないなぁなんてものもあるんですよ。全部をそういう視点でみているわけではないですねぇ。(まぁ腐ってるんで大体みてますけどねぇ)

 

「関係性に悶える」と先述した通り、自分にとって推しはどう幸せになってほしいかというヴィジョンを腐女子は楽しんで妄想するんですよ。だれをどう支配してどう支配させたいのか、その逆も然り。

 

己の中で繰り広げられる推しの幸せこそ最上だと思っている、と言っても過言ではないが、他の人が考えた推しの幸せもぜひ覗いてみたい!君はどんな幸せを描いてくれているんだい!と同志の作品をとらのあなでポチるのだよ。そして己の心の肥やしとするのだよ。

 

こうやって腐女子は己の幸せを築いて自分の機嫌をとっているわけです。

 

COVID19のせいで、次の即売会がいつになるかわからないところが悲しみだけれども、わたしたちにはとらのあな通販がついてるZE。

 

尊敬する先生方、いつも素敵な作品ありがとございます。

わたしの生きる希望DEATH★