【仗露本】通販予約開始のお知らせ

 

久しぶりに文字を書く。

仕事柄文字ばかり書いているけれど、やはりブログを書くとなると少々身構える。

さてさて、今回とらのあな様に同人誌の委託販売をお願いしましたので宣伝。

相変わらず、イラストと漫画を描いています。

生きる理由になっているくらいには、イラストと漫画を描いています。

描いている時が一番幸せ。まである。

こんなに続くと自分でも思っていなかった。

 

原稿が終わると、達成感と虚無感が同時にくる。

とても寂しいのである。でもこの寂しさはきっといいことなんだと思う。

 

そんな気持ちと汗と涙を込めた仗露本できました。

ec.toranoana.jp

10/10ダイ裏にて頒布予定の新刊「グッバイ、理性。」

仗露本/R-18/オフセット/B5/P48

pixivにてサンプル読めますのでぜひどうぞ。

#東方仗助 【仗露】通販予約開始のお知らせ - ちゃんぴろのイラスト - pixiv

 

わたしの今あるすべてをここにぶつけたので、ぜひ読んでほしい。

自分好みな話が描けた。

でもね、まだわたしの中に羞恥心というものが少しばかり残っていてさ。

まだ自分の性癖を全面に押し出せてないんさ。

わたしの性癖全面に押し出した本を描きたいね。

死ぬ前にわたしがやりたいことのひとつ。

 

「描いている時、完成まであなたはわたしだけのもの」

的なニュアンスのことをわたしの好きな画家が言っていたのだが、

とてもよくわかる。わかりすぎてつらい。

 

同人誌、なにとぞ、よろしくお願いいたします!!!!

 

以下、最近のどうでもいい話。

もうすぐ三連休なので、たまりにたまったゲームと積読を消化したい。

欲しかった川端康成の本買ったんですよ。

その他、本棚からあふれてしまった本たちを読みたい。

映画も見たい。ネトフリでゴッドファーザーが見られるんです。

なぜか2しかないんです。1もみせてください、ネトフリ先生。

 

最近みた「ミッドサマー」は結構好きだった。

不穏さ加減が好き。

 

カイジアニメと実写映画もネトフリで見られるので、またアカカイ熱が復活しそうでヤバイ(財布的な問題)

カイジって泣かせたくなるよねぇ。泣いてばっかりいるからさ。

アカギにはひれ伏したくなるけどさ。

 

dnkbにもハマってしまっているので、いよいよやばい(財布的な意味で)

ゴルフのキャディーバッグをピカチュウにしてしまうくらいにはお熱。

そこにつけられるdnkbぬい。

充実しているわたしのヲタ活事情でした。

 

 

 

 

わたしがコロナ禍で得たもの

コロナ禍でわたしが得たもの。

それは趣味である絵を描くことである。

 

こんなご時世にならなかったらわたしはJOJOを1部から読もうと思わなかったし、

JOJOを読んだから、今絵や漫画を描いているわたしがいる。

 

もともと限界ヲタクなので、いろんな同人誌を読み漁ってはいたが、

自分で漫画を描こうと思ったきっかけは、自分が読みたい同人誌を、読みたかったからってのが大きい。

あと、単純に自分も描いてみたかったから。

小説は何度か書いた経験があったし、前々から絵で表現することにチャレンジしてみたかった。

 

この半年わたしはイラストや漫画を描くことに時間を使った。

どこにも行けない、テレビを見てもみんなフェイスシールドをしていて

どこか「コロナ」が頭から離れない。

本当なら今年に秋にはタイへ旅行に行くはずだった。

職場はこの事態にピリピリしているし、周りに感染者がいなくてもどこか疲弊している。つらい。悔しい。こんなことになるなんて。

きっとみんながそう思って生きていると思う。

 

そんな中で絵を描くことに出合えたわたしは幸せだった。

 

最初はこんなに描き続けると思っていなくて

飽き性のわたしはすぐにやめてしまうだろうと思っていた。

それがどうだ、今はこんなに楽しくて、絵や漫画を描くために睡眠時間を削っているくらいだ。

 

絵や漫画を描くことの何が楽しいって、自分としか向き合わないところにあると思う。

そりゃ、絵が上手な人にはうらやましいと思う。

それでも絵を描いてる時は自分としか戦っていない。

自分の脳内をアウトプットすることの楽しさ。

それをもっと上手に、もっと正確に表現したい。

どこであきらめるか、どこで納得するかは自分が決める。

 

わたしにとって、身体を鍛えることもそうだけれど

自分自身の修行なんですよ。

ジムでみんなでわちゃわちゃと運動することも好きだけれど

自分との勝負だと思っている。

 

サンドバック対自分。そこに相手はいない。敵は己のみ。

デスクトップpcにむかって絵を描く自分も常に自分と戦っている。

 

このコロナ禍でなくしたものばかりではなく

わたしは、出会えたものがある。

ほんとうに幸せな奴だと思う。

 

描きたいものがたくさんあって

幸せだなんて、そう思えるなんてほんとに幸せな奴だよ。

好きに絵を描ける環境にも感謝。

 

来年の目標は、何とは言わないが必ず同人誌を作りたいと思っている。

何を描くかすら決まっていないけれど。

1冊でもいいから、同人誌を作りたいなぁ。

誰かに買って読んでもらいたいという気持ちはもちろんあるけれど

それは2番目の希望で、1番は自分の作品を自分の手で作りたい。

それを手に取りたいなんて、贅沢な夢を抱いてしまった。

 

コロナよ、お前は罪深い奴だな。

 

52日間

そろそろブログを更新しませんかとメールが来ていたのは気になっていたけれど、気にしないふりをしてた。

 

前回、更新してから52日。

相変わらず、継続が苦手なわたしである。

 

絵を描くことだけは続けているけれど

描きたい漫画の一番大切なシーンが描けなくて放置している。

 

 

漫画を描くのは趣味だからと思いながら、負けたくないと思うのは

ボクササイズに似ていると思う。

 

絵を描くことと、ジム通いはわたしが自分と向き合う大切な時間。

サンドバックと向き合う。なんていうと異様に聞こえるかもしれないけれど

わたしは楽しいとかいうよりは「ただ自分と向き合う時間」だと思っている。

対サンドバックなので相手がいるわけではないのに、わたしは誰にも負けたくない。

いつか目の前のサンドバックをパンチで切り裂いて、中にいるはずの加藤を救ってやるんだ()

 

この52日の間にいくつインプットをしたかと数えてみたけれど

数本映画を見て、映画館には1回行った。小説は2冊読んだだけだった。

圧倒的にインプットの数が少ない。

 

大好きな東山魁夷の画集でわたしは何度も京都に行った。

このご時世がおわったら、おわったら、おわったらと妄想するのもそろそろ飽きてきたで。神様。

 

 

 

どこかで失くしたアイツのアイツ

タイトルの古さよ。

 

昔ジムで、とても個性的な声援をもらったことがある。

 

45分1本のボクササイズにもう3年通っているのだけれど、ラスト5分が死ぬほどキツイんですよ…

もうそりゃ、口からヘドロが出そうなくらい。

ラスト5分は手を抜きがちなのだけれど、ココにキツイ自重トレをぶち込んでくるトレーナーさんがいた。

 

その人は大阪から一時期だけ、助っ人で来てくれていた女性だったのだけれど、何故か私の事を気に入ってくれて?わたしのサンドバックの前に張り付いて、いつも個性的な声援をくれた。

 

サンドバックをぐいーーーって押しながら圧かけて「できるよ!そんなもんじゃないだろ!!」と言ってくれたり、

ここまで飛べと、届かない距離のバーを出してきたり。

一緒に真横でバーピージャンプ飛んでくれたりした。

 

 

その中でも1番印象的な声援は

「後のことは考えるな!!!!!!!!」だった。

 

 

そうなんだよ、いくら身体動かしてても明日のスケジュールのことを考えてしまうし、明日の自分のことを心配してしまってどうしても目の前のサンドバックに集中出来ないラスト5分。

 

彼女に後のことは考えるな!全力でやれ!と言われてハッとした。

 

何事もわたしは、「まぁこんなもんか」と思う節がある。

イラストだって漫画だってそうだ。

こんなもんかと自分を諦めるところがある。

 

ジムでの声援を、普段も思い出して

もう少し出し切ってみようと思えるようになったのはココ最近。

 

まだまだ、イラストも漫画も書き初めて5ヶ月だし、そんな私にはこんなもんしか描けないだろ、なんていう固定概念は捨て去って、常にその時の私を全力で出していかないと伝わない何かがあるんじゃないだろうか。

 

彼女はプログラムが終わったあと意地悪そうにいつも「えへへ」と私に笑った。

 

それ以上は話したことないけれど。

あの笑顔にもう一度会いたいなぁ。

 

タイトル全く関係ないね。

桂正和先生の御本はI”sをドキドキしながら読んだ記憶。

 

甘酢っぱい、記憶。

残念ながら甘酸っぱい記憶はない、女子高育ち。

 

 

自分の中の儀式、ルール

わたしの中に知らないうちに自分で作り出した「儀式」がいくつかある。

それはとても単純なことで簡単なことなのだけれど。

例えば、わたしが同人誌をわざわざ店舗に買いに行くこと。

これは「同人誌を読む」作業は「同人誌を買いに行く」ところからわたしの中で儀式として始まっているから。

だから、店舗で手に入る同人誌の場合わたしは買いに行く。

 

他人にしてみればどうでもいい儀式。

面倒くさい儀式のように見えるがわたしには大切な儀式。

 

ジムもわたしにとって儀式なんだと思う。

「なんでしんどい思いをするためにジムに行かなあかんねん」って思うくらいジムのプログラムがきついんだけど(自分で選んだわけだが…)

 

それでもジムで運動しているのは痩せたいからという気持ちももちろんあるのだけれど、それとは別に、「あぁたぶんわたし、ジムで運動することで自分の中にあるもやもやしたものを外に出してるんだなぁ」とアドレナリンガンガン出しながら気が付いた。

運動はわたしをリセットする儀式なのだ。

 

絵を描くようになってから、自分ひとりで勝手に悩みもやもやすることが増えた。

「このイラストはネタバレになるんじゃないか」

「この漫画だれが読んでくれるんだろう、だれも読んでくれなかったらどうしよう」

「製本したところでだれか買ってくれるんだろうか」

一人でぐるぐるして、一人でもやもやしていた。

 

でもね、昨日わたしはサンドバックを殴りながら思ったのよ。

わたしは自分が描きたい漫画を描くし、描きたいイラストを描く。

それを見て、あーだこーだあったらそれはその時に考えたらいい。

そんなこと以前に、わたしのイラストや漫画を見てくれる人がいるだけでめちゃくちゃ幸せじゃないかってね。

 

これは誰もが経験したことがあると思うんだけれど、

今でこそ、数時間あれば適当な落書き程度なら描けるようになったけれど

イラストを描き始めたときもわたしは、1枚仕上げるのに1週間かけてたのよ。

すごい労力でしょ?

 

でも、その1週間かけて描いた1枚を、ドキドキしながらうpしても

誰も見てくれないことが山ほどあった。

いいねなんてもってのほかですよ。

無名だし、下手だし、そのジャンルも初心者だしフォロワーの人数?1桁。(笑)

 

岸辺露伴が言ってたけど「自分の漫画を誰もみてくれなくなるんじゃないか」って恐怖。すごくわかる。

 

今わたしがいる界隈は、わたしの描いたイラストをたくさんの人が見てくれるし、憧れの絵師さんや本人さんまでいいねしてくれるから;;やさしさに泣いた;;

 

見てくれているってわかるから「次も頑張って書きたいな」と思うんだよね。

いつもわたしのイラストや漫画をみてくれている人たち、本当にありがとう。

わたしが頑張れる理由です。

 

わたしの好きなバンドのVoが「初めてやったライブのお客さんは5人で最前列には誰もいなかった」って言ってたのを思い出して、そうだよね。そんなもんだよねと勇気づけられたりなどしているよ、最近。

 

わたしの中で儀式化していることって他にもたくさんありそうだなぁ。

仕事で着るシャツの色が毎日決まっていることも儀式かな?

これは儀式というよりは、考えるのが面倒くさいから決めているほうが大きいかしら。

 

わたしの友人には、「洋服を選ぶのが面倒くさいから、同じ服を何着も持っている」という人がいて、気持ちはめちゃくちゃわかるので、わたしもまねしたいくらいだが

スーパー飽き性のわたしには難しいなと思い断念。

 

わたしは自分ルールが多すぎる。

それはわかっているよ、変えられないけどね。

いんぷっとの話

押井守の50年50本という本を買った。

理由は押井守という人間を知りたかったからだ。

 

わたしは映画が、というより古いものでも新しいものでも

「インプット」が苦手だ。以前に書いたとおり、新しいものを取り入れることに関して、わたしは臆病なのだ。新しいことを取り入れる恐怖みたいなものがある。

 

しかしせっかくネットフリックスに加入しているのだし、新しいものでなくても

好きな映画をインプットのために見ようと思った。

イノセンス

 

攻殻機動隊という漫画、アニメを知らないわたしが10代の時に初めてみた押井守作品がイノセンスだった。たぶんスカイクロラよりも先に見た。

 

攻殻機動隊を知らなくても、当時の脳タリンのわたしでも、イノセンスはめちゃくちゃ面白い、今でいう最高にエモい映画なのだということがわかった。

そのあとかな、スカイクロラが上映されたのは。

 

スカイクロラは夏に、妹と見に行ったことを覚えている。とても暑い夏だった。

あの作品の空の情景が、熱い夏に絶妙に重なって、今でもスカイクロラを見ると夏の作品なのかなと錯覚するほどには、わたしの記憶の中で夏の映画である。

 

スカイクロラを見た後かな、風立ちぬが公開された。

 

わたしは「ただ単に飛行機の話が好きなのか?」と自分自身に問うべく、風立ちぬを父と映画館に見に行ったが、やはりわたしは飛行機の映画が好きなのではなく、スカイクロラが純粋に、押井守作品が好きなんだと知った。

(父が、風立ちぬの大ファンで計5回ほど映画館に付き合ったのはいい思い出だが)

 

押井守の50年50本という本には、わたしの知っている映画が50本中2~3本しかなくて、タイトルだけ知っているものが1本。あとは知らない映画ばかりだった。

 

押井守という男が選ぶ1冊/年。

これを読むだけで押井守という人間を理解できるわけではないが、わたしにはとても刺激的な本だった。

 

二次創作を続ける中で、インプットの大切さを知ったし

作品について語れることの喜びを知った。

しかし悲しいかなわたしには、好きな作品について語れる友人があまりにも少なく、わたしはこうしてブログにつづるしかできないわけだが。

 

そういう場にいけば同志に出会えるものなのかもしれないけれど

わたしがヲタク活動を今より熱心にやっていた時でさえ、友人ができなかったほどに、わたしはコミュ障()なので、どうしようもない。

 

二次創作でも、インプットは必要なわけで。

何かを作るという点において、新しい刺激は必要なわけで。

わたしはなにを怖がっていたんだだろう。

わたしはなにを拒否していたんだろう。

それでも、わたしは拒否をするけれど、きっといつかは見るよ

あなたが勧めてくれたその映画を。

 

でも好きな時に好きなことをしたいので

その映画を見るのが、いつになるかはわからないけれど、尊敬するあなたが、見たほうがいいと勧めてくれるならば観よう。

その時わたしはきっと、「あぁ、もっと早くに見ておけば、よかった」といつもと同じように後悔するのでしょうね。

 

今書いている漫画が、いまのところ自分史上最強のできなのでしっかり仕上げていきたい。

 

ちょっとページ数が多くなりすぎているけれど。

幾分慣れてきたので、まあいいかと、思っています。

いんぷっと大事。

インプットを2倍速でやって、アウトプットを4倍速でできる人間になりたい。

 

 

陰キャ、陽キャみたいなことする

人生で初めてキャンプへ行った。

キャンプ、陽キャの響きだ。キャンプ。

なんだキャンプって、そんな!アクティブなこと!ワイにできるんか!?

湖でSUPなんて!ワイはそもそも泳げないんやぞ!

 

 

 

できたぁぁぁぁ(歓喜

 

 

 

友人にご一緒して行ったのは長野県。

 

都会にもまれ、絵がうまくかけなくて悩み

漫画のネームも途中までしかおりてこなくて続きが書けない。

描いてる漫画もあるけれど、まったく進まない。やる気が来い状態。

ジムは自粛。ストレスのはけ口はアルコールのみで

めっちゃくちゃ飲むようになってしまった。

 

別にだれも待ってないけど、だれも待ってないことを認めるのは腹立たしい。

なんだよくそ。なんで1日9時間も10時間も職場に時間をつぶされなきゃならんのだくそぉぉぉぉ!わたしは絵が描きたいんだ!でも仕事をしないと生きていけないんだ!それも知ってる!!!!!

 

ってな悩みは全部今回のキャンプで吹っ飛んだ。

 

一人で湖に浮かんで、周りに誰もいなくて

この空はいまこの瞬間わたしだけのものかぁって

青い空と澄んだ湖面を見ていたら

ほんと、なにもかもどうでもよくなった。

人間って驚くほど単純なんだなぁ。

 

日焼けもどうでもいいし、今日明日絵が描けないなとかどうでもいいし、

むしろたまには絵を描かない日があってもいいんじゃね?ってなったし

持って行った本は読まないし。あと車をでかいのに買い替えたくなった。

 

 

人間ってめちゃくちゃ簡単やね。

とても勉強になった。

人は、単純ってことよ。

 

「創作意欲はあがったか?」と聞かれたが

やる気まんまんよぉ。

 

絶対に最高のものを描いてやるんだから。